養豚の友記事 2016

養豚の友 2016 年に1年間掲載させて頂きました.
1年分のエッセーの内容を以下に掲載します.

小野養豚んのぶぅぶぅ 


養豚の友 1月号

第1回 小野養豚んのぶぅぶぅ
「 芸術活動家の”小野養豚ん”です 」

私は「小野養豚ん(おのようとん)」というアー ティスト名で活動をしております芸術作家です。 2016年は自身の作品についてとか、豚や芸術につ いてのひとり言などのエッセイを連載させて頂くこ ととなりました。養豚のプロフェッショナルの方 が拝見されるこの場で豚や養豚について少々間 違った見解などあるかもしれません。でもそれ は、創造による芸術感覚の豚について言っている のか、と暖かく見守って頂ければ幸いです。どうぞ よろしくお願い致します。

あるひとつの芸術表現としての ”豚”

「ウサギとかネコとか他の動物は作らない の?」とたまに聞かれますが、私は豚しか作って おりません。豚だけを創作しています。現在は主に 豚の立体造形やスケッチなどをメインとして制作 活動し、美術館やギャラリー、ビエンナーレとい う名の芸術祭や野外の展覧会にて豚作品を至る所 に展開しています。芸術作品を作って展示をするだ けなのですが、私たち作家にとってはこの活動が 社会との繋がりであり、作家としての重要な役割 として認識しています。作品に共感する鑑賞者に出 逢えればそれは充分な社会的影響力を生み出して います。まだまだ日本において芸術への認識は時に は趣味と思われがちで、私のような芸術活動も軽 視されることがあります。日中はサラリーマンとし てお仕事をして週末は心を落ち着かせるために好 きな絵画を描いたり、書道をしたり、歌を歌った り作ったりされる方が多くいらっしゃいます。これ が趣味というものですが、芸術家として自立し、 これを生業として認識している作家は趣味とは 違った観点で社会への問題を見つめ直してもらう ために作品にして表現することがあります。これは 多種多様な芸術表現が昨今観られますが、これら の多様な中でのあるひとつの表現になります。社 会へ発信するために芸術を媒介として表現する私 もこれら表現の内のひとりになります。ですので、 時として可愛くない豚を創作したりします。なぜな らそれは、可愛らしい豚を作る事が目的ではな く、社会問題を芸術の力で見つめ直すことがねら いだからです。

豚作品で伝えたいこと

では、「豚だけを作っていて豚がお好きなので すね」ではなく、豚作品を制作するには意味があ り、微力ながら私なりに世の中へ伝えたいことが あるのです。これは私が養豚場を小さな頃から見 た上で芸術の道へ歩んでしまった運命でもあるの かしらと大げさに思ったりもしていますが。。。

「はらぺこめいしゃんとん」「おなかがぐぅ」
制作年:2012
素材 : テラコッタ
サイズ : D200×W500×H250cm
Photo:onoyotonn

両親が養豚家

 私は地方で養豚場を経営する両親の元で元気 いっぱいに育てて頂きました。私が生まれる前か ら豚が飼育されていたため、私がこの世に登場し た時には豚がすでに家にブヒブヒと1000頭以上お りました。現在は私の姉夫婦が引き継ぎ、約1500 頭になります。豚は物心がついた時から側にいて、 私にとって身近な存在であり、生活の一部でもあ りました。幼少から高校生まで休みの日は養豚場 で蝶々やトンボを追っかけたり、山々に囲まれた 大自然の中でボケーッとしたり、豚の餌くれや糞 かきを手伝ったりして過ごしていました。現在の 豚作家としての大きな原動力は、養豚場にて育っ たことの経験によるものです。

芸術活動家の”小野養豚ん”です。

商品として扱う豚は量産するには最高に効率が よく消費者が知ることのない様々な工程を経ま す。薬剤を用い、種付けを繰り返し、去勢を日々 おこない、多くの作業が効率的に循環しています。 養豚場の豚にペットとしての愛憎のような感情は ありません。でも子豚の愛らしい産毛はたまりま せんが。現実の養豚場の有りようは世間が描く罵 倒や愛くるしいなどの豚のイメージとは違った面が あります。実際に映し出されるのは糞と鉄の檻が 入り混じった臭い、埃の臭い、糞に寄ってくる 蝿、餌を求める獣の声、交尾させられる豚、スト レス防止のために切断された子豚の尾など。冷た い臭気が漂う空気の中に日々、豚が飼育されてい ます。私は、こうした子供時代からの見てきた豚の 記憶と環境を芸術作品にして表現しています。私が 描く豚の像は侮蔑や愛らしいのような一般概念で はなく、養豚場の現実の世界です。

「UN10」                     制作年:2004                                                                      素材:ポリエステル樹脂
1体サイズ:D1650×W800×H900mm

豚は、さまざまな形で人間に見られる姿を持っ ています。傷つけ合ったり、慰め合ったり、人間 の社会と 共通点を持った光景が檻の中で見られま す。子豚の肌の色は、人間の赤ん坊に似てとても暖 かく柔らかく感じられます。一方で、現代の日本に おいては、食肉の豚の生産工程を消費者は知る必 要がなく見ることがありません。このような消費 の現代では、生に対しての低い価値感覚が無意識 に与えられています。成長の早さ、飼育の手軽さか らもっとも身近で、人間にとって最高に効率のよ い豚。これをひとつの例に現代人の生への意識が 希薄化されていることは否めません。命あるものを食べて生きているという事実を、現代に生きる私たちがどれほど意識できているのでしょうか。

「暖」                      制作年 : 2009                                                                                             素材:ポリエステル樹脂
1体:D50×W80×H60cm
Photo:早川宏一

作品を観る人は鑑賞者でありお肉を買う消費者 でもあります。命を頂くありがたみについて、改め て自身と会話し見つめ直してもらえればと思いま す。スーパーで気軽に購入できるなど、なじみある 食材とされる豚肉ですが、その生産工程を知る消 費者は少ないですね。現場では、シスマテチック な環境で合理的に豚が飼育されています。食肉とし ての品質、生産効率を優先する現場では、豚の運 動を制限して飼育し手早く成長させます。あくまで 人間の都合ですね。それは人のエゴなのでは?と いう問いがありますけど、私たちも生きるために 食べなくてはいけません。畜産業にはそういった 葛藤があります。私の作品は、生産現場のありの ままを表現することで、観た人に「生」に対する 意識を喚起させたいという願いがあります。

「 BORN TO LIVE」
制作年 : 2012
素材:ポリエステル樹脂
1体 : D500×W800×H600mm(6体)
Photo : onoyotonn

私は、人間の姿や性格を豚に投影し、作品とし て描出することで、生きることの欠点あるいは美 点を探求しています。 作品を通じて人間社会を映 し出し、一方で、生きることや食べることの根源 に迫りたいと思っています。 “生”を軸としたテー マで“生きる”ことの喜びと“いのちを いただく”こと の有り難みをコンセプトとして表現活動をしてお ります。 今回は私の自己紹介ということで、ありがトン ございました。


養豚の友 2月号


第2回 小野養豚んのぶぅぶぅ
「 いろいろあるんです、豚にもね (6@@6) 」

豚が持たれるイメージ

「この豚野郎!!!」

 え、え~っっっ!豚は人間様に食べられるために生まれてきたのに、そんな言い方は無いじゃないか~、と毎日毎日、豚と顔を合わせ豚と共に生きる養豚家の方ならそう思うのではないでしょうか。でもこれは、豚そのものに言っているのではなく、豚を比喩した人間への暴言で、大体が米国や日本が持つイメージです。よく、映画で出くわすようなこの発言は、豚みたいにムシャムシャ食べ物ばかり食べ、ぐーぐー寝てばかりいる怠慢な人間に対してや、恨みをもつ人に今までのたくさんのウップンが積もり積もって浴びせるような罵声です。しかしなぜ、このような豚の例えが生まれてしまったのでしょうか?

 これは豚に対する、大食い、臭い、汚ない、怠慢、などの一般的な思い込みから発生されています。実際の豚ちゃん達は日々、おいしいお肉になるためにたくさんエサを食べて、寝て、子豚を生みます。このような生活が一般の方から見れば怠慢な生活に映るのでしょう。比喩される豚の表現は遠巻きから見た先入観から想像されているようです。こうした日々の豚の生活を知らない人が思わずついて出てくる言葉なのでしょう。でも、養豚家の方もどこかで思わず言ってしまっているかもしれませんね。固定観念というものは、人間の頭の中で現実とは違う世界を創り出し、言葉の表現となって立ち上がってきます。よくうっかりとした言葉の綾とありますが、豚様にも人間様にもお互いを傷つけないようにしたいものです。

 英語の「Hog(ホッグ)」は、「がつがつ食う、むさぼり食う、大いびきをかく。」などを揶揄する言葉として使用されます。ホッグとは、実際には去勢された豚のことを言い、第2の意味として、不潔、大食いなヤツとあります。「You hog!」と言えば、大食いなヤツということです。実際には、豚の体脂肪率は14 – 18%で、人間で言えばモデル並みの体系なのですが。ポジティブな視点から解釈すれば、「貪欲な人」ともなるようで受け入れ方によっては、平和な人間関係が保てます。「Sweating like a pig.(豚のように汗をかく)」なんて言う言葉もあります。また実際には、豚の皮膚には汗腺が無く、汗をかきません。犬のように暑い時は強い呼吸をし、汗をかくのは鼻と足の裏です。人間の先入観から違った言葉が生み出され、「汚ない、大食い、臭い、汗かき」の観念はまるでお絵かきのように描かれて今に至ったようです。

ハッピーアイテム 

 なんだか、豚に対して何も希望が持てないような言い回しですが、ションボリする必要はありません。ドイツでは、豚は幸運のシンボルで、「運がいい、ついている。」といったイメージで使用されます。とくにキリスト教とは関係なく、中世の時代に豚をたくさん所有していることは財産であり富の象徴でした。それは、その人の幸福をも意味し、豊かな収穫のシンボルでありました。その言われが今でも引き継がれ、幸福、富のシンボルとして愛されています。「彼は豚をたくさん持っている。」とドイツ語のことわざで言ったら、その人が災難をかろうじて逃れたことを意味します。


金運で大食漢 

 また中国文化圏では「子孫繁栄、お金持ち、裕福。」といった象徴であります。日本で言う、招き猫的な存在でネックレスなどに金の豚が付けられたものが売られています。出産のお祝いとしても送られるようです。でもよく知られている猪八戒は、「だらしない大食漢」といったキャラ設定をされており、ひとつの意味だけではなく違った角度から表現されています。

豚もおだてりゃ木に登る 

 では、我が国ニッポンはいかがでしょうか。「豚に真珠」なんて言うことわざは、もうずっと聞かせられていますが、価値を知らない人間に高価な物を与えることを言い、まったく意味が無いとか、無駄であることの例えを言います。「豚もおだてりゃ木に登る」もご存知の通り。鈍い豚も褒めてその気にさせれば、出来ない木登りもしてしまうという意味で、能力の低い人間でも褒めちぎってご機嫌をとれば才能を発揮し、今までに無い力を発揮することを言います。ただ、その気にさせておかなければ、何もできない豚である、と言われた感じもしますが。ふたつのことわざを取り上げましたが、日本が持っている豚の先入観というものは米国に近いようです。

 ずっと前にラジオで聞いた話ですが、「好きな人が、私のことを影で豚みたいと言っていたのを聞いてしまいました。」とまるでマンガに出てくるようなワンシーンの相談が女の子からありました。もしかしたら、豚みたいにカワイイというドイツ的な意味だったかもしれないのにな。それを聞いた女の子が持つ「大食い、汚ない」という豚のイメージと男の子が抱いている豚のイメージは、もしかしたら、違ったかもしれません。もし、この話がドイツでのワンシーンであったら、このふたりの恋物語は成就したかもしれません。豚が持たれる恐るべき先入観パワーは、これからの未来を担う男女への影響力も強いですね。

なんだかんだ言われても 

 まぁ、そんなこんなですべての豚のイメージは人間が勝手に想像したもので、豚にとっては言葉も通じませんし、関係ないみたいです。人間があれこれを言っているのをまるで知っているけど、知らないフリをしているように、ぐーぐー、ぐーぐーと今日も豚は寝ています。もしかしたら、豚同士の間で人間を比喩したことわざがあって、人間を見て笑っているかもしれませんね。


養豚の友 3月号

第3回 小野養豚んのぶぅぶぅ
『 「 豚 」vs「ぶたちゃん」 』

ぶたちゃん

かわいいお洋服を着せられたペットとしての「ぶたちゃん」達の写真や動画がHPサイトや雑誌、TVなどの各種メディアで日常的に見られるようになりました。それは愛らしい姿でぱっちりお目目でふわふわの毛並みをしており、「あ〜私も一緒に遊んだり、触ったりしたいなぁ。」なんて想いながら夢の世界へ誘われます。

でも、「あれ?待てよ??」と私は不意と我に返ります。「豚はいただくものなのに。」と。

イノシシ

現在の家畜としての「豚」は、人類の農耕が始まったとされる新石器時代から「猪(イノシシ)」を餌付けし、人に馴れさせ、アジア、ヨーロッパの各地域で人が食べるように家畜にしたものであるとされています。猪の生息場所は水と緑が深い所を好み、それは人が生きるにも住みやすい環境で、同じ場所にウロウロしていた猪は人間に目を付けられてしまったということもあります。そして、昔の人々が猪を食べてみたら肉が柔らかく美味しかったため家畜とされてきました。猪と豚は染色体が同じで繁殖能力の高さが共に高いことも、豚の祖先は猪であるというひとつの要因になるようです。野生動物の家畜化と食料生産の発達により、人類が増大し、文明が築かれたと言われ、私たちがこうして自由にのびのびと生きていられるのも家畜様々なのです。

飼うのか喰うのか

これら生きるための構造による人類の文化が「ぶたちゃん」を飼うという現代社会の文化によって変形してきている気配が漂います。未来には豚を食さなくなった人の体は今と変化し、豚は飼うための動物で喰ったら訴えられる世界が待っているのかな、とボンヤリ思います。私は食すための豚と共に育ちました。ペットとしてのぶたちゃん達をメディアで見る度に複雑な葛藤が押し寄せます。ただ、お魚ちゃんはすでにそのポジションを取っており、熱帯魚は鑑賞するためのもの、秋刀魚や鮎、鮭などなどはお料理のために存在し、日本人、おもに先進国における人々は割り切って魚類とお付き合いしています。食すための豚が存在しなくなったら、また、新たな豚を祖先とする家畜の動物が開発されているのかもしれません。人間も生きるためには喰わねばなりませんから。

そんな未来をボンヤリと耽り、『飼うのか喰うのか』というタイトルで私の勝手に葛藤した心境を立体作品にして表現してみたりもしました。こちらの作品は、ラメやビーズを貼り合わせてキラッキラッにデコレーションしています。前脚を犬がお手をするように愛おしいポーズを取っています。この作品はキラキラに着飾られ、愛らしい姿をして人間にカワイイと見られることを意識している子ぶたちゃんですが、一方では人に食べられているのだ、という思いが込められています。また、『それでも豚に真珠』という作品も輝かしい真珠を身にまとっている子ぶたちゃんの姿ですが、「豚に真珠」のことわざから、豚に真珠を与えても意味が無いという意味をそのまま作品に投影しております。これもペットとしての豚から表現しております。豚を食う人がいれば、一方では豚を愛でている人が存在する多様化された世の中ですが、また一方では、ベジタリアンといった菜食主義者の方々がおり、そもそも肉類をお口にされません。肉類を食さなくとも生きることは出来ますが、私の世界観は肉類を食す人類、文化をベースとして作り出しています。

そんなこんなですが、実は猪は、人に馴れやすい性格を持ち合わせ、人間が食べるものを好み、始めはペットとして手なづけられていたそうです。でも、大昔はペットとして飼ったけど、最後は食べていたようです。人になつこい上に成長の早さや、繁殖能力の強さ、人間が生きる環境への適応性、お肉のおいしさから人類は家畜としての価値を見出し、畑の害獣をペットとして家畜化しました。大昔の状況も少々、複雑な思いがします。

【 「飼うのか喰うのか」 2014 FRP W15×D20×H30cm 】

【 「それでも豚に真珠」 2014 FRP W20×D15×H15 cm 】

豚をいただくこと

先進国では現在、家畜業は企業化され個人でお肉を裁くようなことはありません。しかし、戦後は高度経済成長期までは多くの農家で兼業的に1〜2頭の豚が小規模飼育されていた、ということをよく美術館やアートギャラリーで出会う50~60代の方にお話を伺うことができます。まさに古代の人の方法による、まずは手なづけて最後に美味しくいただくことを行っていました。このような文化は今や日本で見られませんが、スペインのある地域で豚を各家庭で屠畜するシーズンが今でも残っているそうです。これは、11月11日の聖マルティヌス祭に、それぞれの家で食べる豚を自身達の手によって屠畜します。自身の手で豚をさばくことは生の価値を尊重できるひとつの手段であります。

先進国では小規模飼育から大規模化し、専業化された養豚業の技術は著しく向上しました。しかし、食生産の大変な裏側を知ることが無い、快適にあふれた社会が作り上げられました。スーパーでラッピングされたお肉の豚しか知らない人も中におります。まだ今のところ、豚は食用という概念が広く一般的であり、観賞用ではありませんので動物園などではあまり豚を見かけません。実際に見たことがないという方にもアートギャラリーなどで出会います。簡単にスーパーで手に取ることができ、命をいただいていることを当然として暮らすことが出来ています。スペイン地方のように自らの手で育て屠畜する経験は、命をいただいて生きているという意識を高めます。

豚は豚

毎日お世話されている養豚農家の方、私の実家の家族が今日も元気な豚を育てていることを想うと、やはり、豚はぶたちゃんではなく豚です。私たちが生きるために育て屠畜しているということ、それはあたり前のことであり、とても感謝することです。ペットか家畜かのボーダーラインがあやふやになっている昨今、広く一般的に私たちの命のために生きている家畜を殺め、命をいただいていることをありがたいと伝えていきたいです。


養豚の友 4月号

第4回 小野養豚んのぶぅぶぅ
「 アートはみんなの心の中に 」

アート?芸術?美術?

「なんだかよくわからないなぁ〜。。。」 なんて言葉を聞いたり、言われたり。

アートや美術、芸術という言葉を聞いて広く一般的にイメージされるものは、「値段がつけられない高尚なもの」「知らないと訳がわからないもの」「贅沢で権威のあるもの」と思われがちです。そして、距離を置いた先に思うのは、「私に関係のない違う世界のもの」「大事に箱の中に保管された美術館にある高価なもの」というのが大体の考え方になってきます。アートを普段の生活の中で無くてはならないものと考えている人は、日本において約1割程度と言われます。

現代アート?

アートにはさまざまな歴史を変遷し、現代に至ります。例えば、15世紀にイタリアでルネサンス美術と呼ばれた時代がありました。この時代は大富豪のメディチ家のための絵画や彫刻、果ては建築まで作られ、価値が高く、高尚なものが多く見受けられました。そんなこんな歴史をまたがって現れた今の芸術が『現代アート』と呼ばれています。 アートの価値とは高尚なものではなく、人間の根源そのものであることを、現代アートにおいて問われています。そのため広く一般的な視点を表現した作品が生み出され、アートの価値はみんなの心の中にあると唱えられています。そして、さまざまな活動が生み出されて昔よりは少しずつみなさまの生活に根付いてきた感じはあります。この価値はこれと言った基準はなく、一つの正解があるわけではありません。数学のように、1+1=2 ではなく、1+1=5とか3とかみたいに間違った答えがあって良いし、いろいろな答え、考え方があって良いのです。

アイディアのヒント

多様な視点を持つということは、アートに限らず言えることかと思います。例えば、何かの目標達成のためにひとつの考えを押しつけで押し通すのは失敗する可能性が高いでしょう。なぜなら、ひとつのやり方はさまざまなやり方に対応できません。もし、その目標のために自分が思案してことと違った投球がされたなら、別のやり方で投げ返さなければなりません。多くの意見を取り入れて目標に向かっていくことが成功の最善策です。アートはそのような多様化された社会に対応していくひとつのきっかけや考え方を一般的に広めていく役割を持っています。ですので、もし、「私の世界と違うもの」という固定概念で敬遠されたら、まずは近づいたり観てみてください。わざわざ美術館へ行くのは大変だなぁ、となりますが、今は美術館やアートギャラリーだけでなく、突然、野外に作品展示が始まったり、パフォーマンスが始まったりという機会がたくさんあります。そんな時にちょっと目を向けてみると、自身の考え事やアイディアのヒントを与えてくれるかもしれません。今回は現代アートについて「よくわからないぁ〜」という視点に向けて少しでもお伝えし、親しみを持って頂くためにアートの中の動物表現をご紹介致します。

美術の中の動物たち

2010年に兵庫県の尼崎市総合文化センター にて動物表現をしている作家さんが集まった「美術の中の動物たち Animals in Contemporary Art」という展覧会に参加させて頂きました。ご一緒させて頂いた現代アーティストさん達の作品をご紹介させて頂きます。

池水慶一さんは、日本の動物園という人工的な環境のうちに生きる動物たちを作品によって表現し、その動物たちが私たち人間と同じように生きるひとつの個体として捉え、誠実な眼差しで見つめてきました。この展覧会では像の歩いた足跡をや自身が動物園の檻の中に入って人間に観られるといったパフォーマンス写真を展示しました。


「像の足音」1977
布に墨 320×420 cm
像に布の上を歩いてもらい足拓した作品

「HOMOSAPIENS」
1965  200×250 cm
動物園の檻の中に入るパフォーマンス写真

淀川テクニックさんは大阪・淀川の河川敷を拠点として活動されている2人組アートユニットです。淀川のゴミや漂流物などを使って作品を制作されています。缶のゴミによるシャチホコのスクーター作品と車のタイヤやバックなどのゴミを使って制作した小チヌのスクーター作品を発表されました。各地でアートワークショップ活動をして現代アートの楽しさを広められています。


「シャチホコ」2009
「小チヌ」2009
淀川のゴミや漂流物などを使った作品表現をしています。缶のゴミで制作したシャチホコスクーターと車のタイヤやバックのゴミによる小チヌスクーター
ⓒYUKARI ART CONTEMPORARY

植松琢麿さんは、生命の特質を独自の観点から捉えて、まるで神話に出てくるような世界観のある動物を表現されています。中空に浮いたシカを中心とした作品と花とシカをグラフィックによって合成した平面作品を発表されました。


「crystal forest」2010
神話に出てくるような世界観のある動物を表現され、中空に浮いたシカを中心とした作品
ⓒTakuma Uematsu courtesy of Yumiko Chiba Associates

名和晃平さんは、ガラスビーズで鹿の剥製を被覆し、光を透過させた先に見える事物のリアリティを追求した作品を制作されています。この展示では、剥製に発泡ポリウレタンという柔らかい素材を覆った等身大の作品を発表されました。


「Swell-Tiger」
mixed media 2010
h: 700 w: 1600 d: 550 mm
photo: Nobutada OMOTE | SANDWICH

「Swell-Deer」
mixed media 2010
h: 1770 w: 1580 d: 480 mm
photo: Nobutada OMOTE | SANDWICH
剥製を発泡ポリウレタンを覆ったもこもこした作品
ⓒSANDWICH

小野養豚ん
手前:「暖(だん)」2009
FRP 60×80×50cm/6点
奥:「裸々々(ららら)」2003
FRP  100×110×55cm/8点                        
「美術の中の動物たち Animals in Contemporary Art」展
2010年 兵庫県尼崎市総合文化センター     (撮影:onoyotonn)

磁場 – 地場

野外展示である「磁場 – 地場」展に3回もの出展に参加させて頂き、毎回、吉野辰海さんという犬をずっと制作されている作家さんとお会いします。吉野さんは、お年が70代後半ですが現在も勢力的に等身大や大きな作品を制作されています。モデルの犬はご自身の愛犬だそうで、作品を鑑賞しているとまるで人間のようにも見えてきます。そんな愛嬌のある犬の作品を発表されています。


吉野辰海 モデルの犬はご自身の愛犬
「Screw 春犬/Screw 夏犬/Screw 秋犬/Screw 冬犬」
FRP  H147cm

小野養豚ん
「…pigeep…pigeep…」 FRP   W195cm×D40cm×H65cm/5点
寝て夢を見ながら空中を飛んでいる豚
「ART SESSION TSUKUBA 2015 磁場 – 地場」             (撮影:onoyotonn)

Wall Art Festival

インドの子どもたちの教育につながる糧を作りたい、アートの力によって学校の楽しさを村人に伝えたい、という教育普及の思いから始まった日本人による国際的芸術祭がWall Art Festival(ウォールアートフェスティバル)です。小野養豚んは、第5回2014年2月15日~17日の3日間、 インド共和国マハラーシュトラ州・ターネー地区、先住民ワルリ族の住むガンジャード村にある学校「アーシュラムスクール・ガンジャード」にて開催されたところにボランティアとして参加しました。約4,300名の来場者を集め、大盛況にて成功を収めました。

ここで出逢った豚星(ぴっぐすたー)なつみさんは、紙と墨を使って可愛らしい豚のイラストを描いている作家さんです。その明るくやさしい人柄はインドの子ども達に大人気でいつも子ども達に囲まれておりました。笑顔がステキな作家さんです。

アートを楽しむ

そのアートが好き・大切と思うこと、それだけでその人にとって価値があり、アートの価値は見る人の心の中にあるのです。 アートは答えのない存在であるため、みなさまに柔らかい視点を与えるツールにもなります。現代社会の混沌とした先行き不透明なこの時代に私たちを支えてくれるものとなります。ちょっとでもアートを発見したら近づいて楽しんでみてくださいね。


豚星(ぴっぐすたー)なつみさんと小野養豚んのコラボイラスト

豚星(ぴっぐすたー)なつみさん「Beautiful」イラスト                        
インドのガンジャード村アーシュラムスクールでのWall Art Festivalにて


養豚の友5月号
  

第5回小野養豚んのぶぅぶぅ
「  ぶーちゃん大集合! 」

紙粘土のぶたさん

わいわい きゃっきゃっ ぶーぶー  と賑やかに「紙粘土でぶたさんをつくろう!」アートワークショップを開催致しました。先日、川越市立美術館 タッチアートコーナー『小野養豚ん pigeep…pigeep…展』(2016年1月5日〜 3月27日)が終了致しましたが、この展覧会のイベントのひとつとして催されました。年中さんから小学生を対象とした20名のお子さまとお父さま、お母さま、おじいさまがペアとなって約2時間程度、和やかなひとときとなりました。

ワークショップは、280mlの小さなペットボトルに紙粘土をつけ、彩色し、特に難しい技術は必要なく、楽しく簡単にぶたさんが作れる内容としました。ペットボトルを横に倒し寝かせると蓋の部分が自然とぶたさんの鼻に見えてきます。この形に沿わせて紙粘土を張り付けていけば、いつの間にかぶたさんになってしまいます。まず、袋から取り出した柔らかい紙粘土にアクリルガッシュ絵の具(速乾性があり、発色の良い絵具)を直接、練り込みます。そうすると、粘土と絵具が交じり、自然な色合いが出てきます。これを、ペットボトルにペタペタと張り付けて、ぶたさんボディーが出来上がります。三角耳2つと足4本(爪の表現も忘れずに)を取り付けます。さらに彩色したい子は筆にアクリルガッシュで模様らしき水玉やリボン、目、お尻の割れ目、鼻の穴などを紙粘土の上に直接、描いていきます。最後に針金にフサフサがついたしっぽをクルリと巻いてお尻の上の方に刺して出来上がりです。今回は、粘土と時間が余った子ども達が多くいて、子ぶたちゃんが続々と作り出され、クリエイティブな発想で生み出されたぶーちゃん達が大集合しました。

親子でぶたさんを作ろう!

2015年8月、群馬県沼田市立図書館にて夏休み企画「 親子でぶたさんを作ろう!」ワークショップを開催致しました。こちらもペットボトルに紙粘土を張り付けてぶたさんを作る内容でした。対象は、お子さまだけでなく、親子で作ることがメインとなっており、年中さんから小学生までの親子11組30名にご参加頂きました。一緒に来ていたお母さまやお父さまも真剣にぶたさん制作に励んで頂きました。養豚んの養豚場を経営している姉親子にも参加してもらいました。普段、子育てやお仕事の両立で子どもとなかなか物作りなどをする時間が取れない姉にとってはこの時が癒しの時間ともなり、子どもと共有できた活動が精神的にもリフレッシュできたようです。

ホスピタルアートプロジェクト

2014年9月には、「ぶたのアロマキャンドルワークショップ」をイギリスの ノーフォーク アンド ノーリッチ大学附属病院にて開催しました。これは、ホスピタルアートプロジェクトと呼ばれ、病院とアートのコラボレーション活動であり、特にホスピタルアートの先進国であるイギリスにて行いました。アートの力をもって、病院などの医療環境をより快適な癒しの空間とすることを目的とし、病院などの医療現場で、患者やその家族、現場に関わるあらゆる人たちが、アート活動に触れることによって、精神的、身体的に癒される空間づくりをめざす活動です。

養豚んのワークショップには、老人の患者、若い女性患者、お見舞いに来た男の子と病院スタッフに参加して頂きました。あるひとりの若い女性患者さんがお父さんらしきおおらかな男の人と笑顔が愛らしい妹らしき女の人と3人で参加してくれました。ワークショップ中にお父さんが私に小さな声で「あの子は2日後に大きな手術を控えているんだよ。」とそう言いました。19歳か20歳くらいのとても目鼻立ちが整った美しい人でスレンダーな女性でした。一緒に来た妹さんと20分くらい真剣にキャンドル制作をしていました。お父さんはずっとその様子の写真を撮っていました。作り終わった後、彼女は「ありがとう。」と言って握手をしてくれました。その手はとても細くて白い手でした。手術前のナーバスな時間を癒してあげられたかなと今も彼女のことを思い出します。あの2日後に無事に手術が成功したことを祈り、今は彼女が元気にしていることを想像しています。ホスピタルアートの目的は、アートの力によって心の癒しを手助けし、病院をもっと心地よい場所にすることです。病気は心を癒さないと治りませんよね。

神戸ビエンナーレ2007・2009

2007年11月に神戸ビエンナーレという芸術の祭典に作品を展示致しました。この時のイベントとしてまた、ぶたのキャンドルワークショップを開催致しました。この祭典には『出会い』というひとつのテーマがありました。そのため出品した作品は、ぶたの群れる像をイメージし、触れ合いを形にしました。展示空間がびっしり埋まるように豚の型から2000匹を超えるミニぶたをロウを溶かして流し込み、量産し、ぶた達が肌を触れ合わせながらどこか遠くへ歩いていくような、それとも寝ているようなそのような作品を制作しました。これと連動して同じミニぶたを鑑賞者の人にも作って頂き、制作がどのような工程で行われるのか体験して頂きました。

2009年11月にも神戸ビエンナーレのイベントとしてキャンドルワークショップを開催し、この時はまた違った形態のぶたの頭を制作して頂きました。通りかかりの方に声をかけ、約15分から20分で作り、みなさまにハッピーなぶたをお持ち帰り頂きました。

アートワークショップ

ワークショップとは、学びや創造を参加者が自発的におこなえるように専門の人が環境を暖め、体験してもらう活動のひとつです。最近ではさまざまな形のワークショップと呼ばれるものがありますが、アートでも活発に行われています。「親子でぶたさんをつくろう!」や「ホスピタルアートプロジェクト」で参加者の方から頂いた言葉から感じたことですが、アートワークショップにて少しでもアートに触れることよって広く一般の人達に精神的なリフレッシュや癒しを与えることができるとわかりました。アートは人間の根源であり、自然と癒される多くの展開がワークショップでは生み出されます。そして、共有活動によって人と人との繋がりが自然と生み出されることもアートワークショップの力です。お仕事で疲れた時は思い切ってアートワークショップに出かけてみてくださいませ。


養豚の友6月号

第6回小野養豚のぶぅぶぅ
   すぴー…すぴー…すぴー… 

ぐーぐー…すぴー…すぴー…ぶぅぶぅ…人のいびきにはいろいろありますが、豚は「ぶぅぶぅ」でしょう。

なぜ人は眠るのか、そのメカニズムは未だに解明されていないそうです。ほ乳動物も眠らない種類は無いと言われています。ただ、睡眠時間が短かったり、長かったりとマチマチです。ナマケモノやコアラは消費エネルギーを減らすため20時間も眠り、ネコは12時間~13時間くらいでエネルギーの無駄使いをしない習性があり、出来るだけ動かないように過ごすようです。イヌは12~15時間くらいですが、些細な音で目を覚まします。自然界では命に関わるので些細な音にもすぐに目を覚まさないといけないそうです。豚は?と言うと、人と同じくらいの時間で6~8時間くらいになります。 チンパンジーは9時間くらいなのだそうです。牛はというと、4時間くらいですが、数分おきに起きては寝てと繰り返すとされています。このように見ても眠ることとはとても不思議な行動だと思います。

眠る母豚と子豚

さて「眠る」ということをテーマにしたことがありませんでしたが、茨城県つくば市の筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構という「睡眠」について研究をしている施設が新しく建てられ、この棟に眠りについてのアート作品を設置するというご依頼の元、眠る豚(そのままですが)を2015年に作品にしました。これは、気持ち良さそうに寄り添い合って眠りにつき、寝息をたてるようにそのまま夢の世界へ飛んでいっているような母豚と子豚の像を表現しました。眠りという幸せな時間とお互いに肌を触れ合わせられる幸せな時間も表現をしています。タイトルは「すぴー…すぴー…すぴー…」です(これもそのままですね)。らせん階段のある吹き抜けにピンク色の巨体の母豚に子豚が寄り添い目を閉じて夢見るようにフワフワと4組ずつ、宙に飛んでいるように設置しました。眠りの謎は解明されておりませんが、単純に眠ることは幸せな気持ちになります。夢も見られますしね。

タイトル:「pigeep…pigeep…」
2015年
素材:ポリエステル樹脂
サイズ:横幅195cm×幅40cm×高さ65cm  4体
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構 設置
撮影:太田拓実

中之条ビエンナーレ

群馬県中之条町にて、「中之条ビエンナーレ」という大きな芸術祭が2年に1度開催されております。毎回お客様が6-7万人という大盛況ぶりで芸術作家130組以上が参加するというビックイベントです。養豚んも昨夏参加させて頂きました。2015年9月12日〜10月12日まで、「はんすとようとん.ぷれす」というアーティスト名で共同作品を展示しました。一緒に展示した作家さんは、ハンス・ショールさんというドイツ在住の方で、家畜動物をテーマとして表現しました。

ここでも眠る豚を登場させました。ハンスさんは、豚と鶏と牛を影絵を使って表現しました。ハンスさんは元々、キネティックアーティストと呼ばれる分類におります。キネティックアートとはなんだろうか?と思いますが、動いたり、または動くように見える美術作品のことをいいます。動く作品とはどのように動かすかというと、自然の力である風や水によるものや電気や磁力を使ったもの、果ては人力を使ったものなどさまざまです。ハンスさんは主に電気を使用してモーターでゆっくりゆっくり天体が動くイメージの作品を手がけられています。このハンスさんの影絵の作品をバックにして、養豚ん作品が空を飛んでいるといったイメージの共同作品となりました。暗闇に浮かび上がる幻想的な影絵と光って飛ぶ豚といった形で今までにない経験の展示となりました。

中之条ビエンナーレ
2015年9月12日〜10月12日
群馬県中之条町内5つのエリア開催
<伊勢町、伊参(いさま)、四万、沢渡・暮坂、六合(くに)>

はんすとようとん.ぷれす(ハンス・ショール+小野養豚ん)
作品タイトル:「Animal Shadows」
素材:ポリエステル樹脂、モーター、ワイヤー
会場:旧五反田小学校Art Session TSUKUBA 2015 磁場 – 地場そして、中之条ビエンナーレと重なるように「Art Session TSUKUBA 2015 磁場 – 地場」展にも出品し、ここでも眠る豚を飛ばしました。飛ばしたというよりは飛んでいるように展示をしました。この展覧会は茨城県つくば市の平沢官衙遺跡からつくば道沿いの神郡地区、臼井地区の野外を舞台として石彫家や陶芸家の方々、15名が参加し、養豚んもこの中に入って参加しました。 会期は、2015年10月4日 ~11月23日でした。こちらも遺跡の隣に設置するなど試みましたのでたくさんの鑑賞者に観て頂き、楽しんで頂きました。

Art Session TSUKUBA 2015 磁場 – 地場
2015年10月4日 〜 11月23日
会場:平沢官衙遺跡〜つくば道沿いの神郡地区〜臼井地区
素材:ポリエステル樹脂
サイズ:横幅195cm×幅40cm×高さ65cm 5体

地域での芸術活動

2000年代に入り、日本国内において都市よりは山々に囲まれた地方で開催されるアートプロジェクトやアートフェスティバルが増加しています。最近では、毎年どこかで開催されています。「中之条ビエンナーレ」(群馬県)、「神戸ビエンナーレ」(兵庫県)、「ヨコハマトリエンナーレ」(神奈川県)、「中房総国際芸術祭いちはらアート・ミックス」(千葉県)、「あいちトリエンナーレ」(愛知県)、「瀬戸内国際芸術祭」(香川県・岡山県)、「十和田奥入瀬芸術祭」(青森県)、「札幌国際芸術祭」(北海道)、などなどたくさんありますよ。3年に1度の世界最大級の国際芸術祭と呼ばれている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟県)は国内においても定着され人気が高いように思います。

アートの力

なぜ、地方で行うのか。ここでもアートの力が発揮されています。例えば、過疎化された地方にアートによって目を向けてもらうことで、その地域の新たな資源をつくることができます。これをきっかけに観光客を呼び寄せるということで地域が潤ったり、そこの地域の問題点に焦点を合わせられ問題解決につながる場合もあります。また、その土地で脈々と受け継がれた美しい文化を伝える役目を持つことができます。アート作品が山々や棚田に設置されていることで、地域の風景の美しさに気づきやすくなります。さらに、彫刻やその風景に合わせた作品を設置することで、この地域に流れる時間や暮らし方を見ることができるのです。アートを媒介とした地域の風景は、鑑賞者自身の目を通すことで特別な風景となります。これによって地域資源が見えるようになれば作家としても嬉しいですし、何よりもその土地に住まう人たちの笑顔に出逢えることが私たちの活動の創作意欲となるのです。 もし、風景の中にアート作品があったら注目してみてくださいね。


養豚の友7月号

小野養豚んのぶぅぶぅ
「  夏休み図工の宿題はぶたさんをつくろう! 」

ぶたさんの作り方

私は豚の形やポーズをいろいろと思案してからスケッチに入り、豚の造形をします。この時は養豚場で取り溜めた写真を机に広げて作品創作をしております。たまに写真を見ないでも豚の骨格が頭に入っているため豚の絵や立体造形を作ることもあります。今回は、豚は見てるけど豚を作ったご経験の無い方のためにそして、これから夏本番!子ども達の夏休みの宿題のために、今回は豚さんの作り方をいくつかお話をしようと思います。

夏休みの宿題

梅雨明けとなり初夏の風に肌も汗ばむ頃となりましたが、そろそろ子ども達は楽しい楽しい夏休みが待っています!でも、夏休みと言えば宿題ですね。そして、絵を描くことが苦手というお子さまが拒絶反応をおこすのが図工の宿題。ポスター制作もその内のひとつです。上手にできなくても作ったり描き切ったりして完成させてしまえばやったもの勝ちなのですが。いつどこで誰に何と言われてしまうのは分かりませんが、何故か絵を苦手とするお子さまや大人の方でも絵や彫刻、デザインなどトータル的な芸術を自分は出来ないと思い込んでしまう傾向にあります。芸術、アートは上手いとか下手ではありません。どんなに下手に描こうとも作ろうとも、完成して物にしてしまえばその作品は自然と説得力が沸いてきます。そして、その作品を目前にした鑑賞者はその熱意に圧倒され、魅了されていくのです。

紙粘土でぶたさんをつくろう!

豚を愛するパワーで紙粘土で豚制作に挑んでみましょう。

準備する物

ペットボトル(280mlの小さい物)、紙粘土(白色・軽量、1人1袋〜2袋)、 粘土ヘラ(無くても可)、 絵の具(アクリルガッシュ、水彩絵の具、どちらでも)、筆、紙パレット、バケツ(筆洗いなど用)、雑巾(汚れたら拭く用)、新聞紙(机の上に広げる用)、

ドライヤー、カラーモールやシール(お好みで)

①粘土をつけます

まず、ペットボトルをご準備ください。中身はお茶でもジュースでも良いですが、全て飲み切って空にしてください。

これに紙粘土を付けていきます。紙粘土は、袋から出して少し練ってそのまま張り付ける方法。紙粘土に絵の具を混ぜてしまい、粘土に色を付けて使用する方法のどちらかお好みで使用してみてください。

②豚のポイントをつくります

ペタペタとまんべんなく厚みを均等にペットボトルにぐるりと1周粘土を付けてください。そうしましたら、お気に入りの豚の写真でもいいですし、実際に豚を見ながらでもいいですし、よーく豚を観察して形を作ってください。

鼻としっぽは、豚のポイントとなります。しっぽや耳はよく見ると、垂れていたり、ピンっと立っていたりしますが、感情を表現するには最適なアクセントになります。緊張していたり、怒っているときなどはピンっとなり、リラックスしている時はタラーンと目にかぶるくらいに垂れていたりします。垂れ耳にすると愛らしい豚さんになりますよ。足の爪も要チェックです。ひづめがありますね。面倒くさがらずに細かい所を作るとより豚らしくなってきますよ!

③色をつけます

形を完成させます。豚の形は上手ではなくても形が曲がっていたり、極端に太らせてみたりすると、オリジナリティが出て良い作品になります。紙粘土はすぐに乾かないので時間があれば1日、そのままにして乾かして固まらせると色付けがスムーズにいきます。お急ぎの場合は、ドライヤーで乾かすといいですよ。

形ができたら、次は色付けです。最初に粘土に色を入れた場合は、目、鼻、耳などの細部を細い筆で描いていけばもう完成です。白粘土で始めた場合は、全体的にお好みの豚色を大きい筆で色付けしていきます。その後、目や鼻など細かい部分を描きます。

④完成です

絵の具が乾いたら、完成です。もう少しデコレーションしたいなどの場合はリボンをつけてみたり、お花のシールを貼ってみたり、カラーモールでしっぽにしてみたりしてお楽しみください。前回のワークショップでは時間を有効に使い、子豚もたくさん作って楽しい親子を造形していました。

ぶたのアロマキャンドルオブジェ

次に良い香りのするキャンドルオブジェの作り方をご紹介します。豚の形をしていれば贈り物にも喜ばれるかと思います。オブジェとして見て楽しむキャンドル豚をご紹介しますので、火を付けて利用するキャンドルの手順ではありません。

※注意※こちらは高温のロウや熱い道具などを使用しますので火傷に充分にご注意ください。ロウを溶かす時などは充分に換気を行ってください。制作中は目の届く範囲でで制作してください。

準備する物

ロウワックス、アロマオイル(お好みの香り)、クレヨン(お好みの色)、、キャンドル市販の柔らかいシリコン型か紙コップ、キャンドル用IHヒーター、鍋・オタマ・スプーン(汚れても良い物、お料理用では無い物)、ジュースなどの缶(色の数だけ)や小さい鍋、カッター、新聞紙(机に敷く用)、油性ペン(お好み色)、水、鍋用の手袋、キッチンペーパー(机や道具などを拭く用)、割り箸(かき混ぜ用)

①型の準備をします

私はシリコーンゴムで豚の型を作ります。シリコーンゴムの扱いは何度が使用してみないと少々取り扱いが難しいのですので、今回は市販の型をお勧めします。ロウ用の柔らかい型がキャンドルショップなどで販売されております。形は四角や丸、三角、星形、ハート形などさまざまです。プラスティックなどでできた硬い型は、ロウを取り出すことができませんので、へこむようなシリコンゴムでできた型をご準備ください。もしくは紙コップでもできます!

②ロウを溶かします

市販のキャンドルをもう一度、溶かして使用しても良いですし、キャンドルショップなどで販売されているロウワックスと呼ばれるつぶつぶビーズのロウをご準備ください。

まずは、コンロでもIHヒーターでも良いですが、IHヒーターの方が火事の危険が無いのでお勧めします。ロウを鍋に直接火にかけると約220℃で発火の恐れがあるので必ず湯煎をします。鍋にお水を入れ、その中に缶や一回り小さい鍋を入れます。缶の中にロウワックスを入れます。湯煎で液体になるまでグツグツと溶かします。キャンドル用ワックスで最も一般的なワックスの融点が約55℃〜60℃なので、すぐに溶けます。物によっては約70℃〜80℃になりますが、溶けるまで待ちましょう。

③色をつけます

クレヨンをカッターなど数ミリくらいにカットしてロウの中に溶かし込み色を付けます。その後、香り付けたい場合は、お好みのアロマオイルを数滴いれます。

④型にロウを流し込みます

火傷しないような分厚い手袋を両手にはめてください。オタマなどで液体のアツアツのロウを型に流し込みます。

⑤硬化させ、型から取り出します

ロウは硬化すると縮むので完全に固まる前に縮んだ分だけもう一度、ロウを流し込みます。目を離さないようにしてください。

完全に固まるまでは、約40-50分は掛かりますのでのんびり待ちましょう。手で触って固まったら型からゆっくり取り出します。

⑥豚の顔にします

いろいろな形がポコポコ取れましたら、それぞれの形を組み合わせてみて豚の顔になるようにくっつけます。くっつける方法は、溶かした液体のロウを付け合わせる面にだけスプーンなどで付け、合わせます。ここは手早くしないと固まってしまいます。できない場合は、お互いの面を重ね合わせ、この周りに筆やスプーンなどでぐるりとロウを付けます。

⑦ペイントします

最後にお好みで色付けをします。これは、油性ペンで良いでしょう。あまり、書きすぎるとペンの先にロウが付き、書けなくなりますのでコマメにペン先をティッシュなどで拭き取りながら使用します。

もし、夏休みの宿題はどうしようー!っと迷っていたらぜひ、お試しくださいね。


養豚の友8月号


小野養豚んのぶぅぶぅ
「  ぶた小屋の修繕に役立つ!?ポリエステル樹脂成形方法 」

ぶた造形の素材

「これはどのように作るのですか?」

ぶたの制作方法に関して純粋なご質問を度々されます。私は彫刻の基本的な技法を使ってぶたを造っております。おもに不飽和ポリエステル樹脂と呼ばれる素材を使用し、ぶたのナマメカしい肌を表現しています。Fiber(繊維)、Reinforced(強化された)、Plastics(プラスチック)の略で、繊維により補強されたプラスチックのことです。耐久性に優れ、薄くて軽くて丈夫で長期屋外仕様等が可能な素材です。

ぶたの作り方

まず、水粘土でぶたの原型を造ります。しゅろ縄と角材を使ってぶたの大まかな形を造ります。この上から水粘土をつけてぶたの形にしていきます。原型は物によっては、発泡スチロールやスタイロフォームで削り出して造る事もできます。

形が仕上がったら原型から、型をつくります。添付写真の作品は1層目がシリコーンゴムで2層目が石膏の2層式の型になっています。ぶたの形が4本足があったり複雑なので割り型というわざと割れる型である彫刻の技法を使っています。型が完成したら中の水粘土をかき出し、型を洗います。

次に型にガラス繊維とポリエステル樹脂を張り込み、硬化させます。硬化後、型からポリエステル樹脂のぶたを取り出し、磨いて仕上げ作業をし、着色して完成となります。

ぶた小屋修繕に

今回は、小屋の修繕にも役立つポリエステル樹脂の使用について述べます。ぶた小屋が木材、プラスティック材で出来ている場合が最適です。鉄材にも使用可能ですが、耐久性には劣りますので鉄材は外してお話致します。

準備物として、ポリエステル樹脂、メポック硬化剤、ガラス繊維、タルク、アセトン、ハケ、樹脂用ローラー、ボロ布、防毒マスク、防塵メガネ、ゴム手袋 になります。樹脂製品は一部のホームセンターに置いてありますがどこにでも売られていないので樹脂専門のお店をインターネットで検索すると良いでしょう。

ポリエステル樹脂を用いる時は危険を伴うのでまず、頭には頭巾、ゴム手袋を着用し、防塵メガネ、防毒マスク、全身作業着で完全防備になります。

修繕方法

まず、小屋の壊れた箇所、割れている、折れている、穴が空いているなどありましたら、ポリエステル樹脂が便利でしょう。FRP作業用セットも販売されているので道具をバラで取り揃える必要はありません。

先にポリエステル樹脂100gとタルクと呼ばれる白い石の粉を1:1の割合でポリカップに混ぜ準備します。硬さはお好み焼きの生地くらいでしょうか。次に、硬化剤を樹脂100gに対して1cc入れます。硬化剤を添加したら、素早く混ぜます。硬化剤の添加率は樹脂100gに対して硬化剤は1~3ccが基本です。しかし、同じ気温の同じ場所で同時に作業しても、硬化速度は室温条件によりかなり変わります。硬化剤をいれた樹脂は、出来るだけ影に置く事が重要です。影がある無しで、同じ樹脂量添加量でも硬化速度が明らかに違います。途中で硬化し材料や道具が使えなくなってしまわないように。それから、樹脂は有毒ガスを発生させながら硬化していきますので大変臭います。十分、換気をするか室内でこもって作業しないことが必要です。防毒マスクを必ず装着しましょう。

壊れた箇所にタルク樹脂をハケでたっぷり塗ります。次に、ポリカップに100ccのタルクをいれていないポリエステル樹脂を入れます。硬化剤を入れる前に塗り込み用のハケと脱泡ローラーが何時でも使える状態である事を確認します。また、硬化剤を入れ、混ぜます。たっぷり塗ったタルク樹脂の上にガラスマットを充てて硬化剤を添加済みの樹脂を少しずつハケで塗り広げます。この時に脱泡ローラーを使って空気が入らないようにゆっくりとやさしく押し充ててコロコロ転がします。

ポリエステル樹脂は最も危険なのが、有毒ガスとガラスマットです。ガラスマットは見た目が白くてキラキラ光にあたってキレイなのですが、ガラスを細かく裁断されているものをマットにされたものです。細かく裁断されているので目に見えない繊維が空中にただよっています。この細かい繊維を吸うと肺に刺さり危険ですので、ここでも防毒マスクは必ず装着しましょう。

塗り込みが終わったら、ハケに残っている樹脂をボロ布等で吸い取ってから、準備してあるアセトンのポリカップに入れハケを洗浄して、そのまま浸けおきしましょう。

以上で硬化時間は半日から1日かかるので気長に待ちましょう。これでぶたちゃん達も小屋がキレイになり快適に過ごせますね!

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

今夏もワークショップを開催いたしますヨ(^@@^)
応募方法はこれから発表しますのでお待ちください!
★SMF学校ワークショップ★
『空飛ぶトンちゃんマラカスをつくってみよう!』
【会期】2016年8月21日(日)・8月28日(日)
午前の部、午後の部 計4回 時間未定
【会場】市民会館おおみや旧地下食堂
【対象者】年中さん(4~5才)から中学校3年生まで
(小学校3年生までのお子さまは保護者同伴でお願いします。)【内容】ペットボトルと紙粘土を使ってブタの楽器を作ります。【各自ご準備頂く物】280mlの小さいペットボトル、エプロンなど汚れても良い格好、手を拭くタオル、休憩用のお飲物
★オープニングイベント★
『空飛ぶトンちゃん大行進』
【会期】9月24日(土) 時間未定
【会場】市民会館おおみや旧地下食堂
【内容】トンちゃんマラカスを制作した参加者を対象にマラカスダンスをしながら氷川神社の参道をゆかいに行進します。
協力:山田祐奈(モダンダンサー)
★小野養豚ん食堂展示★
【会期】2016年9月24日(土)〜11月上旬
【会場】市民会館おおみや旧地下食堂
〒330-0844 埼玉県さいたま市大宮区下町3丁目47−8
http://www.saitama-culture.jp/omiya/
★★★★★★★★回遊美術館Ⅲ★★★★★★★★
【会期】2016年11月11日(金)〜11月20日(日)
【会場】埼玉県立近代美術館中庭
〒330-0061 埼玉県さいたま市 浦和区常盤9−30−1
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


養豚の友9月号


小野養豚んのぶぅぶぅ
「  空飛ぶトンちゃん大行進! 」

さいたまトリエンナーレ プロジェクト

さいたま県さいたま市にて「未来の発見!」をテーマに、2016年9月24日(土)~12月11日(日)、さいたまトリエンナーレ国際芸術祭が開催されます。主に与野本町駅~大宮駅周辺、武蔵浦和駅~中浦和駅周辺、岩槻駅周辺に国内外のアーティストがさいたまの町の歴史や自然、土地についてなど、生活都市ならではの魅力が見える、市内のさまざまな場所が会場として作品を展示されます。私が参加しますプログラムは「さいたまトリエンナーレ 2016」アートプロジェクト「SMF 学校」の一環として実施されます。会場は、さいたま市民会館おおみや旧地下食堂になります。現在は使用されておりませんが、本物の旧食堂で豚の造形をしたり、作品展示をしたりと今までになくリアルな展示となります。

空飛ぶトンちゃんマラカスをつくってみよう!

8月21日(日)と8月28日(日)に紙粘土とペットボトルを使ってトンちゃんマラカスを作ろう!というワークショップを小学生とその親御さまを対象として開催しました。ペットボルの中に小豆や砂、小石などを入れ、フタを閉めます。それから、このペットボトルの周りに紙粘土を巻き付けて、まるで空を飛んでいるようなトンちゃんの姿に成形していきます。乾いたら好きな色のアクリルガッシュで着彩を施し、トンちゃんの顔を描いたりします。また、絵の具が乾いたら完成です。上下左右に振るとシャカシャカ、シャカシャカとなんだかワクワクする楽器となりました。

トンちゃんマーチ

9月24日(土)14:00~16:00に同会場である、さいたま市民会館おおみやにて、ワークショップで作った空飛ぶトンちゃんマラカスを持って、行進をします!ダンサーである山田祐奈さん、上条英さんのご協力のもと簡単な振り付けでマラカスでリズムを取りながら、隣接する氷川参道や周辺市街を愉快に行進します。 飛び入りも大歓迎です!もし、トンちゃんマラカスが無くても手拍子を叩いてもらえれば良いですね。この行進曲を制作して頂くのはミュージシャンである、大澤加寿彦さんです。トンちゃんマーチをこの日のために制作して頂きます。参加希望の方は13:30までに、SMF学校(市民会館おおみや旧地下食堂)にお集まりください!!!

天国へゆくメイシャントン

9月24日(土)~11月6日(日)に同会場にて作品展示をします。食堂で調理されたであろう豚肉(作品のモデルはメイシャントンになります。)が天国へと成就していく様を展示します。食べられるために改良された豚は本当に幸せなのか、そんなことを考えつつ制作した作品になります。 人間は生きるために食し、豚は食べられるために生まれてきます。生きるすべてに尊い普遍性があり、それぞれの命の価値観があります。豚は死を尊厳として、人間のために食されていきます。

作品タイトル「BORN TO LIVE」は、愛らしい表情の梅山豚(メイシャントン)を制作しました。命を授け、幸せに空へ舞っていく豚を表現しました。生を人間に与えることが豚としての生きる幸せと価値であることを、私たち人間は日々、感謝をしなければならないでしょう。

Pigeep… Pigeep…

飛んで寝る豚を埼玉近代美術館の中庭に展示します。気持ち良さそうに寝ている豚の横では何千という風車の作品を別の作家さんが展示します。こちらもどうぞ足をお運びください。芸術の秋を堪能できるチャンスです!!!

2016年9月24日(土)~11月6日(日)
「小野養豚ん 食堂展」
さいたま市民会館おおみや旧地下食堂
2016年11月11日(金)~11月20日(日)
回遊美術館「 Pigeep… Pigeep…」
埼玉近代美術館
主催:あなたとどこでもアート実行委員会/SMF(Saitama Muse Forum)
協力:さいたまトリエンナーレ実行委員会、氷川神社、作品設置協力各店舗・施設
問合せ:あなたとどこでもアート実行委員会(埼玉県立近代美術館内)


養豚の友10月号

小野養豚んのぶぅぶぅ                   「 養豚家主婦&豚アーティスト♡らぶたトーク ~それでも豚が好き~ 」

豚談義

すでに10回目を迎え残りわずかとなりました(^@@^)今号は外に飛び出し豚トークをしました。豚アーティスト仲間である大分県湯布院にお住まいの紙に墨で豚を描く豚星(ぴっくすたぁ)なつみさんと養豚家主婦3名との夢のトーク!と言っても小野養豚んの3姉妹である姉になります。養豚家であり3人の母でもある1番目の姉、須藤香織さんとやはり養豚家で2人の母でもある2番目の姉の小野暁里さん。そして、姉の養豚経営においては心強い味方でもあり多くのことを教えてくださる、株式会社ミツバミート取締役常務の塩野真美江さんにお越し頂きました。会場は群馬県の高崎駅徒歩3分の「豚料理専門店らぶた」にて、豚肉料理を堪能しながらトークをしました。

らぶたトーク

養豚ん:「ではまず、養豚業で大変なことは何ですか?つらいこととか失敗体験でも良いです。」

塩野:「休みが無くてお泊まりが難しいです。」

小野:「出荷が止まってしまうのでお盆とお正月が無いとか。」

須藤:「家族経営で大変かなぁ。豚が言うことを聞かずに動かないのも大変です。」

小野:「豚が脱走した時は大変!」

塩野:「そうそう、豚が山の中に脱走したことがあってロープで体を括ったのだけど、動かないから350mlの缶ビールを3本くらい飲ませて泥酔状態にしてからボブで持ち上げて持ち帰ったことがありました。豚は25℃の焼酎が大好物なんだよ。お産の時に子豚に噛み付かないようにお酒を飲ませるっていう方法もあるみたい。うちはいつもアルコールをあげている訳ではないよ!」

豚星:「へー!すごーい。おもしろい。」

須藤:「お酒好きなこと始めて聞いたわぁ。」

養豚業で良かったこと

養豚ん:「養豚業をしていて良かったこととか、嬉しかったこと、成功体験とか感動したことなどありますか?」

小野:「ん~???なんだろう。大変な仕事だからネガティブなイメージしか出て来ません。」

塩野:「銘柄豚で商標登録が出来たことかな。それで、好きな値段を付けられるし。うちの豚は”上州もち豚”というブランドで高崎の店舗でも取り扱ってもらってます。」

豚星:「ブランドの決め方ってありますか?」

塩野:「エサの種類で決まるからエサが重要です。育て方はそれぞれの養豚農家で違うから、あとはそのブランドを育てるための一定の決まり事かな。」

養豚ん:「いろいろな種類がいるのですね。他には感動体験とかありますか?」

須藤:「難産でやっと生まれた時は感動しました。母豚も苦しそうだったので。」

小野:「そうだね、スルンって出てきてくれた時は自分の体験と重ね合わせてしまって、あはは。」

自分が生きるため

養豚ん:「経験値が高いですが養豚業をして何年くらいになりますか?」

須藤:「15年目かな。」

小野:「12年目。」

塩野:「ん~、20年弱経つね。」

小野:「結構、歳月が経ってしまったけど養豚家のお嫁さんって実は嫁いだ時にこんなはずじゃなかった!というパターンが多いみたいです。」

豚星:「でも、暁里さんも養豚んさんと一緒で養豚農家に生まれて豚を見て育ったのですよね。もともとは何のお仕事をされていたのですか?」

小野:「私が美容師で旦那はもともと重機の整備士でそれぞれ10年働いていました。小野養豚場の跡継ぎだったはずの香織お姉ちゃんが今の須藤養豚場に嫁いだので私が婿養子をもらって小野養豚場をなんとか後を継ぎました。旦那がぜひ養豚業をやりたいって言ってくれたので。私はこんなはずじゃ!という気持ちだったけど。」

塩野:「お婿さん、素晴らしすぎる!」

養豚ん:「あまり養豚業にポジティブではないけどもう12年経つし、普通だったら大変な仕事だから辞めてると思う。続けられるには訳があるでしょう?やっぱり、小さな頃から豚の臭いには慣れているし、ずっと見てきて豚の免疫が付いてるんだよ。」

小野:「ん~、自分が生きるためかなぁ。小さな頃から親を見ていてこの仕事の大変さを知っていたから余計やりたくないって思ってたけどね。」

豚星:「香織お姉ちゃんは旦那さんと同じで小さな頃から親に洗脳されてたのですか?あはは。」

須藤:「自分が跡を継ぐのかなって言うのは薄々、感じていました。高校卒業後は群馬にある県立の農林大学校へ行って旦那さんと知り合い、現在の養豚場へ嫁ぎました。」

養豚ん:「世襲制の流れは家畜業には付きものですね。でも、その中でもやりがいみたいなものはありますか?」

須藤:「最後まで病気をさせずに育て上げて出荷されるときにそれは感じます。」

最後まで見守って肉にしてあげること

養豚ん:「では、命を食商品にすることを意識していますか?」

塩野:「 抗生物質を使わないとか豚のケアを大切にしています。豚は肉になるために生まれてきているから、最後まで見守って肉にしてあげなければということは意識をしています。」

養豚ん:「豚の使命を責任を持って見届けることですね。最後に消費者へのメッセージはありますか?」

塩野:「良い物と悪い物の識別を持って欲しいですね。スーパーでは値段の安い物が優先され流通して消費者は安ければ良いというような世の中の流れに身を任せています。高い物には高いだけの理由があるのだから、まず自分が食する食べ物がどこでどのように作られているのか、食が手元に来るまでのことを知ることです。そこから食の安全性が見極められるのだから。最近の小学生男子で胸が大きい子が見られたりするけど輸入物にはホルモン材が入っていたり子ども達の成長にその影響も少しはあると思うの。親は子どもの老後も考えて食の先を知るべきですね。販売価格が決まっているスーパーは安さを売りにして安い輸入物を売り出し、国産の食商品の付加価値を付けてくれない。消費者はどこでどのように育ってきた豚なのか知ることが大事です。」

ぴっくすたぁ

養豚ん:「ぴっくすたぁさんにも質問ですがなぜ豚を作っているのですか?」

豚星:「私は養豚家に生まれ育った訳ではなく、20代前半の時に肉の卸し売り場の事務をしていてそこから豚にフォーカスをあてて芸術表現をしています。そして、豚が好きだから。」

養豚ん:「なぜ、豚が好きなの?」

豚星:「自分でなぜを探るためにずっと豚を作ってます。それを知るためにいろいろ調べていくとたくさんやることがあるから。養豚家の人と話すことも面白いし、今、養豚家の人にハマってます。うふふ。」

養豚ん:「ふふふ、では、豚の作品を作っていて良かったこととか、やりがいはありますか?」

豚星:「以外と豚好きな人ってたくさんいて、でも自分が豚好きってあまり公に言えないみたいで。私の作品を見てカワイイって寄ってきてもらえたらその人をオープンにしてあげられることです。それから、豚料理のお店や和菓子屋さんとかの看板やパッケージのイラストなど段々と声を掛けてもらって自分の好きなことを仕事に繋げていることがやりがいを感じます。」

養豚ん:「アーティストとして大切にしていることはありますか?」

豚星:「自分が一番楽しんで、それを観た人が笑顔になって気持ちを和ませてもらえれば。大切にしているのは私の作品で笑顔とか笑いを作ってあげることです。豚がカワイイと和んでもらってここから豚は美味しいと繋げていきたいな。」

養豚ん:「難しいね。どうやってカワイイから美味しいに繋げるの?」

豚星:「ん~、今、それを模索中です。」

養豚ん:「養豚業について何か思うことはありますか?」

豚星:「生き物を扱うことは休みがなくてとても苦労していて自分にはできないと思います。家族を養いながら働いていて家族経営していることにも尊敬をしています。」

10年後の未来

養豚ん:「最後に10年後の養豚場としてアーティストとしてどのような未来になっているか教えてください。」

須藤:「TPPを乗り越えて無事に経営できているようになりたいです。」

小野:「ブランドを持ちたい、かな。そしてできたら、親豚を140から200に増やすことです。」

豚星:「変わらず豚が好きでいて、豚料理を開発しているかも。もしかしたら、ステキな養豚家に出逢って養豚の主婦になっているかもね、ふふふ♡」

塩野:「私は世代交代していますが、養豚をしていろんな人に出会えた事、また、その人達にたくさん助けられた事と命をもらった豚に感謝する事を忘れない事で10年後も豚と向きあってゆきたいですね。」

約2時間半に渡って養豚家の主婦と豚アーティストの貴重なお話を伺う事ができました。命を食商品にすること、豚を作品にすること、こんなはずじゃなかった!と思いつつも、家族、友人、豚に支えられ、それぞれの経験によって、豚と隣り合う自分が作られているのだなと感じました。養豚家の主婦と言えど一般的に言われる台所に立って夫を支える奥様ではなく、自立したひとりの経営者として家族を支える力強い柱の存在でありました。それぞれの思う形は違うけれど、とても奥が深く養豚の極みを知ることができました。

豚星なつみさんのイラスト 今回の取材対象者が母親であったことと、須藤養 豚場を取材させてもらい、母豚が一番気になった そうなので、そのイメージをステキなイラストに してもらいました!


養豚の友11月号

小野養豚んのぶぅぶぅ
「  命を育てることは愛情という思いを注ぐこと from 小野養豚場 」

小野養豚場

今回は私の父・小野要二さんと母・小野惠子さんが小野養豚場を立ち上げた経緯、その思いについて取材をしました。物心付いた時には当たり前のように豚が側におり、現在は豚をアートとして表現していますが、当たり前にいた豚は父と母が作り上げた養豚場の甲斐があってのこと。今の芸術家としての私がいるのも両親のおかげで、大変、貴重な時間となりました。

激動の時代

1972年、父が23歳の時に小野養豚場を立ち上げました。1970年代の日本は、高度経済成長を遂げ、オイルショックを迎えるなど、経済が戦後最大に波乱となった時期でもありました。そこから間もなくバブル景気が到来し、その一方で闘争運動などの事件に見舞われた激動の時代でした。養豚業も同時に全盛期だったようです。このような日本社会の変動期に戦後の貧しさの経験から力強く生きてきた父と母は養豚業に力を注ぎ、奮闘し、祖父母と3人娘の家族を養ってきました。私は3番目の娘になりますが、両親の背中を見て育った長女と次女は現在では養豚家で、先月号の記事に掲載しております。

複合経営から出発

小野養豚ん(以下、養豚ん):「小野養豚場をなぜ立ち上げたのかなど、今回はいろいろと聞かせてください。」

父・小野要二(以下、要二):「まずはそうですね、昭和47年に立ち上げて翌年に結婚をして二人でずっと営んできました。現在は、次女が婿養子と2代目になり、引き継ぎました。養豚業の駆け出しの6〜7年は複合経営をしながら進めていました。」

養豚ん:「複合経営とは何ですか?」

要二:「米や野菜を育てながら、養豚経営などの別の仕事を同時に進めることです。当時の農家はこのようなスタイルが定番でした。そして、特に群馬県は養豚が盛んだったので、私たちも畑や田んぼの傍らで豚を育てていました。」

養豚ん:「養豚業を始めようとした理由は何ですか?」

母・小野惠子(以下、惠子):「1本に集中して1年を通した仕事がしたかったからです。複合経営はとても大変でした。当時は養蚕もしていたので、朝、晩の豚の仕事と重なったりしていたので。」

養豚:「結婚する前は何をされていたのですか?」

惠子:「会社勤めをしてました。結婚を機に退社をして、養豚業に入り、3人の娘を育て上げました。これが私のすべてかな、あはは。」

養豚ん:「ふふふ、お母さんはたくましかったです!それで、始めはどれくらいの規模だったのでしょうか?」

要二:「現在は、母豚が140頭ですが、一番初めは20頭でした。昭和53年(1978年)に複合経営は止め、母豚70頭にして規模を拡大し、養豚業を1本にしました。当時、この地域では10件くらい養豚場がありましたが、環境問題や近隣の関係もあって、今は私たちの養豚場だけとなりました。市全体で見ても4〜5件となりました。これは複合経営が次第に無くなるなどの社会背景もあって、ここの地域だけではなく、全国的に減りました。昭和の中期頃までは、畑の肥料用に堆肥を取るため、一般民家でも数頭飼われていたりしましたね。」

獣医医学博士の金矢正志さんによる「養豚経営の心構え」、養豚の現況では、「日本の多頭養豚の歴史は極めて短く、高々3~40年の経験しか持ち合わせていない。昭和35(1960)年を契機として、自立経営農家の育成を目標に農業基本法が成立し、国を挙げての食料自給や畜産振興の施策が積極的に推進された。」とありました。養豚業が本格的に始まる前は一般民家で豚を飼い、自分達で食する肉は自分達で育て、命を頂くことのありがたみを間近にした時代が日本にもあったのですね。

▲1978(昭和53)年、小野養豚場を立ち上げて軌道に 乗ってきた頃の写真です

継続できた理由

要二:「昭和40年代の神奈川は養豚の先進地であったので養豚業を始める前に1年間、藤沢へ研修を受けに行きました。ここでハンプシャー種を見せてもらい養豚業の感化を受けたのです。」

養豚ん:「途中で辞めたりせずに続けられた理由はありますか?」

要二:「いや、20年前くらいに私がヘルニアを患った時には辞めようか迷った時期はありましたよ。私がしばらくの間、入院をしてしまい、母一人に豚を任せていたのだけど、退院後に仕事に復帰したら豚の種付けができていなかったり。想像以上に母一人では仕事がはかどっていなくてね。心の中でたたもうかどうか本当に悩みました。」

養豚ん:「どうやって現在まで続けたのですか?」

要二:「ん〜…ひとことでは言えないけどなんとか忍耐強く、とにかく頑張りました!ははは。あとはそうですね、浄化槽を作って環境整備をしたことがきっかけで今に続いています。平成2〜3年頃から養豚業の糞尿による環境整備が全国的に広まりました。その前までは中小規模の所は浄化槽などの整備が確立されておりませんでした。現在まで継続できている養豚家は環境を整えた所になります。」

惠子:「養豚場の立ち上げの時に大事なのは近隣にまずは許可を取ることです。お肉は美味しいけど豚の臭いは否定できませんから。」

養豚ん:「昔よりは臭いが気になりませんね。私が中学生の頃、友達から夕方になると豚の香りが家まで入ってきて臭いと言われ、私はどうにもできなかった思い出があります。ははは。」

愛情を注ぐこと

養豚ん:「衛生面で特に注意しなければなりませんが、他に大変なことなどありましたか?」

要二:「ん〜いろいろと…。立ち上げの時を振り返ると、衛生面、資金面、予防が大変でしたが、一番は資金面でとても苦労をしました。最初は後継者資金を借りて、農業近代化資金、総合施設資金、土地取得資金で成り立たせました。利子補給をしてもらうため、きちんとした20年返済の計画書を総合施設資金に提出し、融資をしてもらいました。」

惠子:「そして、土地などの財産情報の提出と面接もありました。」

要二:「予防面では、感染症であるオーエスキー病が平成元年頃(1989年)に日本で流行りました。豚ヘルペスウイルス1型、仮性狂犬病ウイルスと言われているもので豚にしか掛からない病気です。これは私たちの地域には感染しなかったので、養豚業を続けられた理由でもあります。」

養豚ん:「いろいろ大変なことがありますが、解決していくことが継続の力となっていくのですね。」

惠子:「あと大変なことは家族経営の難点であるけれど休めないことかな。でも今は人材派遣の制度が確立されてきたのでシルバーさんを雇ってパートタイムで仕事に入ってもらえたりと徐々には家族経営の難点を解消に導いてもらっています。昔はこのような制度が無かったのだけどね。」

要二:「まぁ、生き物も大変だけど農業はすべて似たようなものです。米でもレタスでもトマトでも、生産者が育てる食物と共に毎日時間を共有し、愛情を注ぐことで食物は元気に育ちます。これによって安全な食を消費者へ届けられるのです。」

仕事と子育ての両立

養豚ん:「現場に立ってきた経験からの言葉は深いですね。労苦を積み重ねられてきましたが、旅行へ行ったり、趣味をされたりと楽しそうな一面も私は見てきましたが。養豚業で良かったことなどありますか?」

惠子:「そうですね、朝、晩の豚の仕事をきっちりして、毎回ではないけれど、昼間などの時間を有効利用できることかな。これは、自営業の利点で、会社にお勤めの方には難しいかもしれない。旅行や趣味もしましたが、子ども達の学校行事などもたくさんあって、仕事と子育ての両立ができたことは良かったです。」

要二:「その他には時間を有効活用して、地域の行事に参加、企画したりするなど、地域コミュニティーを形成してきました。そのおかげでみんなの信頼を得ることができて、今の私がいることは過言ではありません。」

恩師

養豚ん:「仕事と家族があるのは地域の人たちの支えがあってのことなのでね。養豚業は生き物を扱うので素人が簡単にできるものでは無いと思いますが、恩師とかいましたか?」

要二:「石井泰明さんです。畜産試験場の研修で大変お世話になりました。「豚のやさしい飼養管理 : ポイントはここだ!」や「豚病臨床図説」など、日本畜産振興会から多くの書籍を出版されました。ご逝去されてしまいましたが、獣医師で畜産試験場の養豚課長をされて群馬県から多くの養豚家を輩出された先生です。当時、私の友人が牛の研修のために畜産試験場に通っていたので、私も付いていきました、その時にお会いして紹介して頂いたのが最初です。」

養豚ん:「石井先生の印象に残った言葉などありますか?」

要二:「「花一輪を玄関に飾りなさい。」が今でも蘇ります。人によって受け止め方は違うだろうけど、余裕をもって仕事をしなさい、という意味で受け取りました。」

惠子:「自分の心にゆとりを持っていかなければ仕事も家族も切羽詰まってしまい、上手くいきませんよ、という人生の教えみたいなものですね。」

要二:「先生は夜中まで農場を見回るような熱意のある方で、とても重みのある言葉でした。それから、現在は91歳になられた獣医師である、泉岩雄先生です。平成6年頃(1994年)から木酢液のご指導を受けました。木酢液は、岩手県発祥で炭を焼いた時に出た煙を冷やして液化にしたものです。豚の消臭効果や体脂肪を変えて肉の旨味を引き出す効果があります。これは、豚だけではなく、畑に使用されたりなど用途は様々です。」

惠子:「とても明るい先生でお話好きですね。家の養豚場に来てもらい、現場指導して頂いたことはとても身になりました。」

要二:「現在はなかなか会えませんが、もう1度だけお会いしたいです。石井先生も泉先生も豚が大好きで養豚界のエキスパートでした。」

何事も諦めずに

養豚ん:「消費者へ何かメッセージはありますか?」

要二:「私の家は、奥利根もち豚として生産していますが、国産のブランド力をもっと知ってもらうことです。日本の食料自給率は世界と比較すると低いので、低い中でも価値のある食商品を生み出し、安全を知ってもらい、それを売ることで消費者に安心をしてもらうことです。エサと環境が整った現代では、昔と比べれば豚肉はとても美味しくなっています。」

養豚ん:「話はちょっと違いますが、私は養豚家でなく芸術家で、両親には今まで私の展覧会に足繁く来てもらい、とても嬉しいです。私の作品についてどのように感じていますか?」

要二:「作品は素晴らしいと思います。あと、長く続けてきたこともあり、周知され、作家として定着してきていることが良いですね。今年も地元の図書館のイベントでワークショップをするなど地域に貢献してくれることはみんなが喜んでくれているので私も嬉しいです。」

養豚ん:「嬉しい言葉です、ありがとうございます!では、最後に豚と家族に恵まれ、現在は愛らしいお孫さんに囲まれてとても幸せそうですが、彼らの未来へ向けた言葉をください。」

要二:「素直で元気が一番!」

惠子:「何事も諦めずに、自分で描いた夢に一生懸命取り組んで欲しいですね!」

この取材の後、現在、小野養豚場を継いだ代表の小野文雄さんに少し会ったので、養豚をすることとは何ですか?と聞いてみました。「豚を育てること、それは、子供を育てることと似ています。」と頂きました。今回の取材を通して、命を育てることは愛情という思いを注ぐことで育つのだなと改めて感じさせられました。人間も生きるために野菜、お肉などの命を頂かなくてはなりません。人間の子供を育てることと似た愛情は豚への感謝の思いとなり、それが養豚の仕事に繋がっていくのですね。


養豚の友12月号

 今回、「小野養豚んのぶぅぶぅ」は最終回となります(;@@;)/とても素晴らしい経験となったことを日本畜産振興界「養豚の友」編集者様に心より感謝申し上げます。私は養豚家の両親を持ち、小さな頃から豚が当たり前にいて、生活の一部でもありました。豚を芸術活動の糧として創作活動を続け、当たり前に制作してきました。でも、なぜ両親が養豚業を始めたのか、仕事をするに辺り大変なこと、嬉しかったことなどのお話をこの取材を通して聞くことができました。そして、私は三姉妹ですが、姉達は現在、養豚を生業としています。そこで養豚業への思いや仕事を通じて知ったことなども聞くことができました。慣れ親しんだ家族には普段、神妙な面持ちで「なぜ養豚業をしているのですか?」というように聞くことができませんでした。もし、私から今更、質問されても、どうしたの?というような空気が流れなくもありません。取材を通して私のライフワークである豚を制作することの原点を振り返ることができました。原点の声を聞くことで私の現在行っている活動の思いにも繋がりました。

思えば、芸術活動は好きでやっていることで誰に頼まれて行っている訳ではありません。しかし、活動を続けていく内に皆さまに私の活動を知ってもらえるようになり、少しずつではありますが自身の中でも定着してきました。ここから自然発生的に豚の展示を依頼されたり、豚について話して欲しいと言って頂いたり、豚の記事を書いて欲しいなど、私の豚活動を人から頼られるようになりました。今回、養豚の友を機会に改めて養豚業から生み出された私の作品制作を見つめ直すことができました。それは、豚を育てるのと似ています。芸術活動は好きで行っていますが、この愛情が人から頼られることへの感謝への思いへと変わります。これを糧に創作活動のエネルギーとなっているのだと知ることができました。

1年間、お読み頂きまして心より感謝申し上げます。豚を作品にすること、表現することをうまく言葉でお伝えできたか心配ですが、なんとなく、伝わっていれば幸せです。これからも豚を創作し、皆さまへ豚への愛情と感謝をお伝えできればと思います。そして、養豚家の方々の汗と努力、喜びを豚によって表現できれば嬉しいです。どこかで動かない豚がいたら、私の作品かもしれません。ふふふ。2017年から私のお友達であるカリグラファー、豚星(ピッグスター)なつみさんが担当されます。どうぞお楽しみください!

豚を見つめてきたこの想いと子豚が母豚と過ごす時間を作詞作曲家であるシンガーソングライター、大澤加寿彦さんに「トンちゃんマーチ」を制作して頂きました。最後にトンちゃんマーチで締めくくりたいと思います。本当は曲付きですが、音をお伝えすることができませんので好きなリズムで歌ってみてください。ブー ブー ラ !!!

トンちゃんマーチ 作詞 大澤加寿彦

ふわ ふわ ふわ ふわ 星を探して

どき どき わく わく 街を眺めて

なんでもない日々を僕は 過ごしているのさ

ぱく ぱく もぐ もぐ ご飯を食べて

ブク ブク ブヒ ブヒ 少し太って

ささやかな幸せを 感じて歌うのさ

朝の光を感じて目覚めて 自由にみんなと笑い合ったら

いつの間にやら いつも夜になるのさ

ふ ふ わ 手のひらで星を集めて ママとおやすみ

ふ ふ わ 僕にはこれが一番 大切な時

ブー ブー ラ 明日もみんな遊んで お昼寝しよう

ブー ブー ラ 毎日そんな夢見て おやすみしよう

僕らはみんな仲良く明日も生きよう!

見つめてきた小野養豚場のアルバム 撮影:小野養豚ん

小野養豚ん作品集

1年間、ありがとうございました!(^@@^)!

今後とも作品に出逢いましたら暖かい目で見守ってください。
小野養豚ん


養豚農家を経営する両親のもとに生まれ育った経験から豚のアート作品を制作する豚造形家。豚思う故に我あり。