ジョルジュ・メリエス『月世界旅行』+ヂョン・ヨンドゥ

2015.1.31. 水戸のCLUB VOICEにて「ジョルジュ・メリエス『月世界旅行』+ヂョン・ヨンドゥ作品上映・トーク」があり、ゆきました。

ジョルジュメリエス

2014.11.4~2015.2.1. 水戸芸術館にて韓国を代表する現代美術作家、ヂョン・ヨンドゥによる個展「地上の道のように」が開催され、この関連イベントとして上映会とトークが催されました。 展示は1度鑑賞し家に帰り、映像作品「マジシャンの散歩」をもう1度観て咀嚼したいと思いに耽り、再度、水戸芸にゆきました。

ヂョンヨンドゥ

ヂョンさんのコメントも聞きたかったのでこの帰りにトークへゆきました。トークでは、流暢な日本語を話されるヂョンさんに感動し、マジシャンのイさんもゲストとして迎えられ、ジョルジュ・メリエスのオーマジュマジックも披露され、感動ぅ(+*@@*+)トークでは、白鳥さんのお話も伺うことができました。

作品「マジシャンの散歩」は、ヂョンさんが水戸で出会った盲目のマッサージ師、白鳥建二氏が撮影している写真をもとに、韓国を代表するマジシャン、イ・ウンギョル氏やジャズピアニストの小曽根真氏とのコラボで、水戸の街角を舞台に色々なハプニングが巻き起こる映像作品です。ヂョンさんは夢や理想と現実、過去と未来のように相反する要素を写真や映像の中で統合する一方、写真や映像といった媒体が、肉眼では見逃してしまう現実を浮き彫りにする機能を持っていることに注目し、制作されています。

magician

白鳥さんは自宅から勤務先のマッサージ店までの道のりをデジタルカメラで撮影することを日課にしているそうです。しかしながら、盲目であるので、ファインダーの先は見えません。そして、撮影した画像も見えません。撮影をし続けている白鳥さんのことをヂョンさんは知り、この展覧会のために白鳥さんにフォーカスを焦て、「マジシャンの散歩」制作を試みました。ヂョンさんは、白鳥さんのことを知った後、1台のカメラを白鳥さんにプレゼントし、撮影してもらえるようにお願いしました。撮影された画像はほとんどが自宅から勤務先までの通勤路であり、約80,000枚は撮影して頂けたそうです。

「マジシャンの散歩」は、白鳥さんがカメラマンであるという演出で始まり、マジシャンが何気ない水戸の街角で次々にマジックを披露し、練り歩いていきます。エンディングでは、マジシャンが白鳥さんからカメラを受け取ります。そのカメラをたくさんの白い風船に付け、小曽根さんのピアノ生演奏をバックに、大空へ飛ばします。映像は空に飛ばされたカメラによって小さくなっていく水戸の街並が映し出されます。56分間の美術館ではなかなか無い作品がこれで終わりだな、分かりやすいエンディングと思いきや、カメラマンの「ハイッ!カット!!!」で終わります。鑑賞者は、マジシャンによって非日常的なマジックが日常の街角に差し込まれ、映像にぐいぐい惹き込まれていくのですが、各カットの間にカメラマンの「ハイ!カット!」の声が入り、一気に現実に戻されてしまいます。ヂョンさんの制作の狙いである、写真や映像の虚構性が人々の注意力や心の動きにどのように作用しているのか、考察を促していることが感じられます。カメラを向ける焦点はその物語には向けられておらず、人がなぜそのような話を好むのか、あるいは思い出したがるのか、といった心の働きのほうに焦点は向けられ、それに寄り添いながら一緒に虚像を作り出しています。

60年代生まれのヂョンさんの同世代の韓国人アーティストは、政治体制の激しい変化や急激な経済成長や都市化と結び付けるような作品を数多く発表しているそうです。経済成長までの人々の虚構と成長の夢の果てに見る現実問題が交錯していた時代に育ち、これが作品のテーマともなっているのでしょうか。

「マジシャンの散歩」を鑑賞し、私は少々混乱に陥りました。盲目である白鳥さんが撮影されているファインダー越しの現実は虚構であるはずなのですが、実は、現実が目に見えている私たちの現実の方が虚構であるのではないか、何かに騙されているのではないか、現実はすべて作り物だ、というトリックにハマってしまったからです。人生を積み重ねてゆくと、すべてを純粋に見られなくなり、真実の裏を読んでしまいます。このような経験値からジョンさんの作品にハマってしまいました。

また、考えると混乱するのでヂョンさんが敬愛するジョルジュ・メリエス魔法映画「月世界旅行」(1902年)を観て、夢に耽る愛らしい映像を眺めたいと思います。

“A Trip to the Moon”  Georges Méliès 1902